3か月前に死を受け入れる経験をしました。
幼少期の体験や、知識、思考、脳では、「死は怖いものではなく、素晴らしいことだ」と、理解はしていたけど、自分自身に起こった時に、「本当の意味で受け入れることはできていなかった」のだと気づきました。
2020年、世界中の人たちがコロナに怯え、三次元では当たり前の「死」へのこわさが浮き彫りになった中で、相談に来る方たちもコロナをきっかけに自分の中にあった「こわさ」と向き合うことになり、パニックや鬱などを併発することも多くありました。
これからも続く変化の中で、そのループに入る人も多くいらっしゃると思います。
そんなときに、私の経験が、みなさんの助けになったり、人生を豊かに生きるヒントになればと思い、このブログを書いています⇓
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死を受け入れる経験をした頃の私は、コロナの自粛生活で自分との対話が増え、ハイヤーセルフや次元の違う存在と繋がっていることを実感するようになり、とてもワクワクしていました。
自分が、またステージが変わり、大きな変容が待っているのだと、感じる日々でした。
そのときに感じたことなどを記しているノートには、
「今、扉の前まで来ました。
扉を開けて、次のところへ行く勇気を確かめているところです。
あと少し、背中を押してください。」
と書いてあります。
その翌日、私は原因不明の大量出血でショック状態になり、救急搬送で入院しました。
「このまま出血が止まらない場合は、輸血をしながら子宮摘出」と伝えられ、意識がもうろうとしている中。
「このまま死ぬのだろうか?」という想いが何度もよぎる私と。
私を助けようと一生懸命になってくれている医師や看護師、友人、家族、、、
みんなの愛がそこら中に散りばめられていて、それをひとつひとつ拾い集めている私が居ました。
仕事柄、”こわさ”を受け入れることや、後悔のないようにできるだけ好きなことをやって生きる人生にシフトしてきたつもりだったのに、突然の”死”に直面すると、死へのこわさと、「まだまだやりたいことがたくさんあった」という想いが巡ります。
大量の出血で、体が動かないだけではなく、考えることすらできない状態の私に、
「今の私にできることはなんだろう。」と、問いかけました。
すると、
ポロポロと、溢れ出す大粒の涙。
そして、同じように溢れ出したのは、
”感謝”
の気持ちでした。。。
【体へ】
「体も大切にしてきたつもりだったけど、まだまだ足りなかったね。」
「43年間も一緒に生きてくれて、ありがとうね。」
「あなた(体)のおかげで、”生きる””という経験ができたよ。ありがとう。」
【子どもたちへ】
「子どもたちともっと一緒に居たかったな。仕事ばっかりしていたな。それでも私を応援してくれて、どんな決断にもついてきてくれて、ありがとね。」
「私のところへ生まれてきてくれて、ありがとう。」
「あなたたちのおかげで人生が大きく変わったよ。幸せをこんなに感じることができるなんて、思ってもいなかった。無償の愛を、すべてを、ありがとう。」
「ずっと一緒に居てくれて、ありがとう。
愛してる。愛してる。愛してる。」
【パートナーへ】
「私と結婚してくれて、ありがとう。」
「可愛い子どもたちをありがとう。」
「大変なこともすべてをいつも大きく包み込んでくれて、ありがとう。」
「私と出逢ってくれて、ありがとう。」
「幸せの形がたくさんあることを知り、すべてが幸せだったと思えるよ。ありがとう。」
【家族へ】
「どんな私をもたくさん愛してくれて、ありがとう。」
「その愛があったから、生きてこれたよ。」
「波乱万丈だったけれど、家族になれて幸せだった。
みんな大好き。ありがとう。」
【友達へ】
「ひとりひとりの顔が浮かぶよ。みんなに逢えて、幸せだったな。」
「いっつも助けてもらってた。たくさん笑った。
いつも隣に居てくれて、ありがとう。ありがとう。ありがとう。」
「私の可能性をたくさん広げてくれたね。ありがとう。」
出逢ったすべての人と自分に感謝が溢れ続けた時間でした。
すると、
不思議ですね。
”死へのこわさ”が消え、「今死んでも後悔は、もうない」と思えたのです。
数時間前までは、”死へのこわさ”と、「まだ死にたくない」という想いが巡っていたのに。
自分をふくめ、自分が感じるすべて、自分が繋がっているすべてに、感謝をすることで、
私は満たされ、死を受け入れたのです。
「私は、ずっと”感謝”をしたかったのだ」と、気づきました。
「自分にもみんなにも、もっともっと感謝をして生きたい」
「生かされていることに、そして生きていることに、深く感謝したい」
ただそれだけなのだと。
今死んだとしても、今から生きたとしても、どちらを選択したとしても、
私が届けたいのは、自分やみんなへの”感謝”なのだと、実感した夜でした。
このときに初めて、”100%感謝”でしかない状態を経験しました。
他の意識や思考は一切存在せず、自分の魂から心、肉体、精神、意識、感覚までものすべてが、
”感謝”に溢れている状態です。
1ミリのずれもなく、完全にハイヤーセルフと一致している状態でした。
この夜は、全身全霊が感謝のエネルギーに包まれて眠りにつきました。
すると、翌朝
なんと出血が止まっていたのです。
「私は、生きることを選択した。」
「生きていいんだ。」
「生かされた。」
と感じると同時に、
「自分を、みんなを、もっともっと大切にして生きよう」
と、決めた瞬間でした。
【死を受け入れるということは、生をも受け入れるということ】を、
身を持って経験しました。
死を受け入れると同時に生きることを選んだ経験でした。
今も私の両手には、「生」と「死」が在ります。
それは、「生」と「死」が、「生」=「死」ということを意味しています。
表裏一体だということを常に感じることで、今のこの瞬間瞬間を大切に感じて生きられるからです。
そこから1か月は、重度の貧血状態で、歩くこともままならず、一言話すと息が切れてしまう状態でした。
少しでも思考を動かすとすぐに疲れてしまう。
携帯の画面を見ると疲れてしまう。
食事もあまり食べられない。
やりたくないことをやる余白もなく、食べたくないものを食べる余白もない。
そんな状態で、できることは、
「やりたいことだけ」
その⇑ために
毎瞬毎瞬自分の身体と強制的に対話をせざるおえない。
これって⇑
すごいことだったんです!
〇毎瞬毎瞬、自分の身体と対話をして決める。
〇やりたくないことはやらない。
〇やりたいことだけをやる。
これって⇑
「”100%自分”で生きてる」ってこと。
無理や頑張りが一個もない毎日。
心地のいいことだけをやって過ごす毎日。
自分がそのときに望んでいることだけをやって過ごす毎日。
すごく幸せな時間でした。
”うそいつわりのない100%自分”
この状態が心地よく、「カチッ!」と音を立てて自分の中のズレがハマった感覚でした。
「私は、ずっとこの状態で生きたいと願っていた。」
「もう戻れない、いや、もう戻らない。」
自分にも周りにも、うそのない”ありのままの自分”で生きるだけ
だと、確信しました。
このとき
人生で初めて、私は「私と結婚したい」と、思えたのです。
昔は「自分みたいな人とは、結婚はしたくない」と思っていました。
いろんなことを我慢したり、自分に嘘をついたり、無理をしていたからです。
自分のことは好きにはなれませんでした。
そんな自分が嫌になり、「自分をもっと好きになりたい!自分のことをもっと信じてあげたい!」と思い、いろんな方法を試し、いろんなことを学び、経験していくうちに、自分を好きになりはじめ、人生も楽しめるようになってきたのです。
でもまだ、「自分と心の底から結婚したい」とまでは思えていませんでした。
そのときは
「自分となら、結婚してもいいかもね?」くらいだったので、「なんで心の底から”自分と結婚したい!”とは思えないのだろう?」と思っていましたが、
今回の経験で、それは、”100%自分らしく”、”100%ありのまま”ではなかったからだと、気づきました。
ちょっとした無理や偽り、頑張り。。。などがあったのだと。
ここから、私のチャレンジがはじまります⇓
シンプルに自分の心地のいいものだけを選択して生きる生活に入るのです。
というか、
入院したときから強制的にそれしかできなくなっていたので、そのまま継続して行くことへのチャレンジですね。
人っておもしろいのが、元気になってきて、体も思考も動き出すと、
●自分との対話をやめてしまう。
●感覚より、思考優位になっちゃう。
●〇〇しなければいけないという”概念”に振り回される。
経験をして培ってきた癖や概念って、すごい影響力ですよね。
でも、もうそこに動かされたりはしません♪
だって、「一度しかない人生を自分の生きたいように生きる!もうそれしかない!」
と確信をしてしまったのだもの!
とってもシンプルな私の生き方⇓
〇やりたいことだけをやって生きる。
〇感覚だけで生きる。(思考は必要なときに使うツールとする。)
〇今、この瞬間瞬間を楽しむ。
⇑これだけをやって生きる毎日、毎瞬。
子どものようですよね。師匠は、子どたち!
すると、今までやっていた仕事や家事などは、ほぼやらない選択になります(笑)。
いろんなことを、どんどんやめていきます(笑)。
そんな私にいつも同じ質問が周りから飛んできます。
メインの質問はこちら⇓
「好きなことだけで生活ができるの?」
「働かないとお金は入ってこないでしょ?」
「家事の中のやりたくないことはやらなかったら、たまっていくよね?どうしているの?」
普通は、みんなそう思いますよね。
私もそう思っていました。
でも、それは概念です。自分や環境が創り上げた妄想。
好きなことだけで生活は、できます。
働かなくてもお金は入ってきます。
家事は、やらなくなったら誰かがやってくれるようになります。
※この⇑カラクリは、こちらの勉強会でお話します。
”すべてがうまくいくスピリチュアリティ勉強会”
最初の2か月は、チャレンジでしたが、3か月目に入ると確信へと変わってきました。
そして、この状態が当たり前に。
”奇跡”と思う体験は、普段経験のできない貴重なことだから、”奇跡”と呼ばれますが、日常の中でいつも”奇跡”と呼ばれるような体験をしていると、それは自分にとって普通のことになっていきます。
ここで伝えたいのは、”誰でも変わることができる”し、”自分が生きたいように生きれる”ということです。
それは難しいことではありません。
ちょっとした”勇気と、自分に正直である”ことだけです。
2020年は、目に見えないウィルスに世界中が怯え、混乱し振り回されました。
そんなときに多くの人が、「何が大切なのだろう?」「自分はどうしたいのだろう?」と自分の価値観を見直したことと思います。
そこから、「では、こうして行こう!」と自分の選択を決めたのではないでしょうか?
目に見えないものと戦うのではなく、自分と向き合い、自分の道は自分で決めていく。
この流れは、もうはじまっています。
誰かが答えを持っているのではありません。
みんな、自分の中に答えがあります。
その答えを自分で見つけ、自分らしく生きることが、自分の生きる価値を尊むのだと、思います。
長くなりましたが、読んでくださって、ありがとうございます。
junko
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