▶︎HSC・HSP(Highly Sensitive Child/Person)
人間関係
Aさん 44歳 サロンオーナー
私は、夫との関係にずっと悩んできました。
すれ違ううちにケンカも多かったのですが、ケンカすらなくなるほど距離ができてしまい、夫は浮気をしてしまいました。
子どもができたら仲を修復できるのかもしれないと頑張りましたが、なかなか子どもできず、離婚した方がいいのか、どうしたらいいのか途方に暮れているときに純子さんに出逢いました。「すごいスピリチュアルカウンセラーさんがいるから一緒に行ってみない?」と友人に誘ってもらい、すぐに予約をして会いに行きました。
純子さんの優しいオーラに包まれて、自分の人生を生まれたときから回想しました。私の男の人への怖さや愛される自信のなさは、私の母親が父親に抱いていた感情そのものだったことに気づきました。幼いながらに両親の不仲は、とても悲しく心を痛めていました。両親の不仲は悪化し、思春期には離婚しました。そのときの自分の寂しさや悲しさは、今でも思い出すと涙が溢れます。
母親の感情を自分のもののように感じていた自分に気づきました。
その自分の気づき、純子さんと一緒に自分の中からそれに対する答えを見つけたとき、すべてが変わりました。
私は、夫にすべてを話し、やり直すことにしました。そして、その後すぐに私たち夫婦のところに赤ちゃんもが来てくれたのです。あれから3年が経ち、赤ちゃんも3歳です。夫は、とても子煩悩で家族想いのいいパパになりました。純子さんには感謝しかありません。
あのときの気づきは、私の人生の大きな岐路の選択となりました。人生が大きく変わったのだと実感しています。
ありがとうございました。
Sさん 38歳 通訳
私は、常に人間関係がうまくいかず、友人との関係に悩んでいました。
どうしてこんなことになっているのか?どうしたらいいのか?まったくわからず困っているときに純子さんのところへ行きました。
答えはとても簡単でした!“自分自身との関係が築けていなかった”と気づきました。純子さんのアドバイスのおかげで、まず自分を知ること、好きになることを実践すると自分自身を丸っと受け入れることができるようになりました。
すると不思議です!私の人間関係がみるみる変わっていったのです。友人との関係はもちろんのこと、家族や仕事仲間など様々な人との関係性に変化が訪れました。
そこで気づいたのが、人として生き、人と関わることで生まれる喜びや感動があること。時には傷つくかもしれません。それでも人との関わりなしでの人生はないのだと。一番根底にある人と人が関わり支え支えられて生きることに心から感謝しました。これからもいろいろなことがあると思いますが、その時は純子さんの言葉や優しさを思い出して頑張ります。
Mさん 35歳 会社員
幼いころから母親とうまくいかず、大人になっても意見が合わずにすれ違うことばかりです。
姉と二人姉妹なのですが、姉は母に似ていて気が合います。母からは「何を考えているのかわからない。言っている意味がわからない。」などと怒られたり、悲しまれたりし、どうしてわかってもらえないのかがわかりませんでした。
そんなときに純子さんの「子どもは、お母さんを幸せにするため、笑顔にするためにそのお母さんを選んでくる」という言葉に、涙が溢れました。
私は、お母さんに笑ってほしかっただけなんだ。お母さんを幸せにしたかっただけなんだ。と気づくと、私の第1ミッションは終わり、次の第2ミッション「自分を生きる」ことにシフトすることを決めました!
私の今生は、「自分のやりたいことをやる!」です。今、母にとても感謝しています。そして、自分にも。
Aさん 40代 フード関係
じゅんこさん、1年間ありがとうございました。
カウンセリングの途中でも話しましたが、 行き帰りも含め、私が私に立ち返る本当に貴重な時間でした。 忙しい毎日の中で、大波が立ったりモヤが立ち込めたり、私、ここにいるのに、どこにいるかわかんない、みたいな1年でした。
死なないけど、死んじゃいたいなって思ったこともあるし、 自我と承認欲求の中で、苦しくて外に出られない日もありました。
家の中でも、一人でいたり、ソファに寝っ転がって、天井を眺めて過ごしていたりもしました。
じゅんこさんに連絡しようと思った時も、次の予約まで自分の中でこの苦しさに耐えようと思っていたから、耐えられたこともたくさんあります。
期限なく、この苦しさと付き合うには耐えられなかったと思うけど、カウンセリングがあったから、耐えられ進めた気がします。
変わった自分はわからないけど(笑)、「ここがスタートなんだな」と、「ここから私の新たな道が始まるんだな」と、まさに「旅立ちの時がきた」のだなって心から受け入れられます。
答えは自分の中にあったのだけど、それを導き出すお手伝いをしていただいて本当にありがとうございました。
これからさきも、末長くよろしくお願いします。
健康
Kさん 42歳 英会話講師
長い間、不妊治療をしていましたが、年齢も気力も限界に来た時に治療を続けるべきか、子どものいない人生を選択するべきかを相談に行きました。
自分のすべてを受け入れることはできませんでしたが、最後の一回で治療を終わりにする決断ができました。その決断が実はすべてを受け入れることだったのかもしれないと今は思います。
奇跡が起き、その最後の治療で赤ちゃんができました。
すべては、自分なのです。ありがとうございました。
Aさん 30歳 美容師
私は、喉がとても弱く、体調が悪いと声が出なくなったり、喉が痛くなったり、咳が出たりします。今までにないくらい喉は不調でした。原因がわからずどうしていいのかわからないときに純子さんの言葉がヒットしました。
「喉のチャクラは、自己表現やコミュニケーションをつかさどっています。」とのこと。
私は、自分の世界観がとても好きで、やりたいことや好きなことがたくさんありました。ですが、その自分の世界観や好きなことを友人や周りの人へうまく伝えることができず、ずっと消化不良状態になっていました。伝えて否定されることやジャッジされることが怖くなっていて、でも自分自身の表現の場が無くなっているような満たされない想いで沸々としていました。
そんなときに「“いい”、“わるい”ではなく、“どう在りたいか”、“どう生きたいか”を、まず感じてみてください。」「そして、周りからのジャッジを気にするのではなく、まず自分自身へのジャッジをやめましょう。そうすることで他者へのジャッジもなくなり、他者からのジャッジを感じることが軽減するでしょう。」と言ってくださりました。
その言葉で、自分が一番自分のことをジャッジしていたことに気づけました。ジャッジされることが怖いと思っていましたが、実は自分が自分自身へのジャッジを作り上げていたのだと気づくことで、幻想のように目の前が変わりました。
今は、“どう生きたいのか?”を自分に問いかけているので、周りではなく自分に素直に生きています。
Tさん 47歳 ヨガ講師
今年は、年明けから副鼻腔炎になり、そのあともケガをして、軽い病気も併発していました。
どうしてこんなことが起こっているのかがわからずとても不安になり相談に行きました。
人生には流れがあり、病気やケガはメッセージであることを知りました。純子さんの温かい言葉にとても安心したのを覚えています。今の状態を受け入れ、対処法やタイミングをみることなどわかりやすく教えていただきました。
いつもありがとうごいます。
Fさん 41歳 セラピスト
子宮筋腫、生理不順、生理痛など、婦人科系の病気になりやすく、自律神経も不安定でした。
どうして婦人科系の病気ばかりなのか?結婚もしたいし赤ちゃんも産みたいのですが、婦人科系の病気を治すことはできるのか?不安でした。
純子さんと出逢い、自分を大切にしていなかったことに気づきました。自己否定が強く、自己嫌悪に陥ることがとても多かった私は、自分の嫌なところばかりが気になり、自分のいいところや好きなところがわからなくなっていました。
幼少期にとても厳しく育てられ、褒めてもらうことも少なく、自分は頑張ってもダメな子だと思い込んでいたことを思い出しました。
その瞬間、自分の「概念や枠を取りたい!」と、叫びそうになりました。「もっと自由にもっと自分らしく生きたいんだ!」と心の奥から幼い自分の叫び声が聴こえてきたような気がしました。
私は変われるのだろうか?変わりたい。。。その想いを純子さんにぶつけると、すべてを肯定してくれました。
「あなたが変われると思ったら変われます。まずは変わりたいと想うところからはじまります。」と言われ、何度かめげそうになったり、あきらめそうになったりしましたが、そのたびに純子さんに背中を押してもらいました。
今でも昔の自分に戻りそうなときもありますが、それもそれでいいと思えるくらい、自分のあらゆるところを受け入れることができています。
とても感謝しています。
仕事
Yさん 45歳 カフェ店員
仕事がとてもつらく、辞めたいと思っていました。
ずっと続けてきた仕事でしたが、この仕事が自分に合っているのか、わからなくなっていました。
純子さんにその気持ちを正直に話しているうちに、自分で答えがわかりました。不思議な感覚でしたが、その瞬間私は、純子さんへ「私、今の仕事辞めます。」と声に出していたのです。純子さんへ話すことによって自分の中が整理され、自分で答えを口にしていました。
長く務めた会社を辞めるのは、お金がなくなる不安や今のキャリアを手放す怖さ、次に何をやればいいのだろうという恐れがたくさんありましたが、「一度しかない人生だ!」と思うことで、勇気がでました。
長年勤めた会社を辞め、思ったことは頑張った自分への感謝と私を雇ってくれていた会社への感謝でした。そして、次の仕事はすぐに決まりました!昔からおしゃれなカフェが大好きで、いずれは自分の大好きなカフェをオープンしようという目標ができたら、自分の気に入っているカフェに就職をすることができました。
心にストンと落ちる選択は、いい流れに乗れるのだと実感しています。
純子さん、カフェに遊びに来てくださいね♪おいしいコーヒーをいれます。
Aさん 48歳 設計会社代表
特に大きな悩みはなかったのですが、自分が経営している会社をもっと大きくしたいと考えていました。
そのタイミングや人事、内容などが自分の考えていることで合っているのか?アドバイスをもらいたいと思い、純子さんに会いに行きました。
私は、占いなどはまったく信じないタイプなのですが、純子さんが数秘で人生の流れをみてくださったときに、自分が過去に歩んできた流れと全く同じだったので、驚きました。人生の流れは、宿命というか運命というか、生まれた日が違うように流れもそれぞれで、ある程度決まっているのだと実感しました。
自分の人生の流れや自分の性質を教えていただき、それに合ったタイミングや人事、内容を会社に提供することで、すべてがうまくいっています。
何かトラブルが起こったときは、純子さんに言われたことを思い出し、自分の質から起こりえる問題と得意なことを照らし合わせ、解決策を出しています。
会社が大きくなれば人も物事も増えるので問題も増えますが、そこが比例しないようなシステム作りを頑張っています。それも純子さんから「自分にとっても社員にとっても会社にとってもクライアントにとってもいい状況や方法は必ずあります。そこを見つけることができたら、素敵な会社になるでしょう。規模は後からついてきます。それができる人だと思います。」という言葉をいただいたおかげです。まだまだ突っ走ります!
Kさん 57歳 美容室オーナー
美容室を5店舗経営しています。
各店舗の人事と新店舗オープン、社員の独立などで悩みました。
まずは、時期です。新店舗のオープン時期と、各店舗の人事を動かす時期、独立をしたいといってきた社員を独立させてあげる時期をいつにすればいいのかを数秘でみてもらいました。
すべて、納得の時期でした。長年美容業界にいるので、感覚はいいと自分でも思っていましたが、純子さんが教えてくださった時期と自分の考えていた時期がピッタリ過ぎて驚きました。やはり自分の感覚は合っているのだと自信が持てました。
また人事もそれぞれの店長の性質や流れから、納得の配置ができました。おかげさまで、細かいいろいろはあるものの大きくは順調に行っています。そろそろ私は、第一線からは引退して、のんびり過ごそうと思っています。またそのときもタイミングや人事を相談に行けたらと思っています。よろしくお願いします。
HSC・HSP(Highly Sensitive Child/Person)
※HSC/HSPとは、非常に繊細で敏感な気質を持っている子/人のことです。
Kさん 14歳の娘のお母さん
私は、娘(14歳)がHSCではないか?と思うようになり、純子さんところへ相談に行きました。
娘は、中学2年になってから、時々学校へ行くことを嫌がるようになってきました。理由は、先生や友達、勉強、部活などなど、いろんな理由が上がっていました。
でも、どれをとっても直接的に娘に起こっている出来事ではないことが多く、周りのことばかりでした。
最初は、先生がクラスメイトに怒っている声がこわい、友だちが友だちの悪口を言っている、部活の役の配役が納得できない、数学の数字が気になって問題に集中できないなどでしたが、だんだんといろんなことが気になってきたようで、黒板に字を書く時の音がうるさすぎる、クラスメイトの話し声、友だちが自分をどのように思っているか、先生の目線、テストで点数をつけられること、部活の先輩にどう思われているかなど、いろんなことが気になる様子を話してくれました。
日を増すごとに学校へ行かない日が増えていき、冬休み明けには完全に不登校になってしまいました。
不登校について、いろいろ調べている中で、HSCという症状が娘の言っていることと似ていると思い、最初は病院も考えたのですが、娘に純子さんのことを話したら、病院ではなく純子さんのところに行きたいと言うので、純子さんに逢いに行きました。
すると、純子さんの「よく頑張ったね、えらかったね。」の言葉に娘が泣き出しました。
きっと、たくさんのことを抱えて苦しいのに誰もわかってくれないというつらさが純子さんの言葉で救われたんだと感じました。
そして、「ごめんね、もっと早く連れてきてあげれば良かった。」と泣く私に、純子さんは、「お母さんもよく頑張ったし、タイミングというものがあります。〇ちゃんにとってもお母さんにとっても私にとっても逢うベストなタイミングは今だったんだと思いますよ。お逢いできて嬉しいです。」と笑ってくれました。
泣いていた娘も笑い、たくさん純子さんに話を聴いてもらったあとは、パステルで絵を描かせてもらいました。
絵を描くことが好きな娘は、純子さんの「色は好き?」という言葉に反応して、「はい、好きです。」と。
「じゃあ、今日はパステルで、絵を描いてから帰ろう♪」と純子さんに言われ、ニコニコ。
娘の選ぶ色は、温かくて優し色ばかりでした。
きっと、たくさんの刺激の中に居て、もっと優しく刺激のない状態を求めていたのだろうなと感じました。
それから毎週1回、純子さんのところへパステルを描きに&お話をしに、娘は通いました。
純子さんは、娘の感受性が鋭いところや繊細で敏感なところを素敵な方へと解釈する癖をつけてくれたり、長所として娘に伝えてくれました。
そのおかげで、過敏なことが悪いことや弱いことではなく、素晴らしい能力なのだと思えるように少しずつ変わってきたのです。
そして、大好きなパステルを描くことで、自己肯定感も上がってきて、自分に自信がついてきたようで、3か月目には学校にも少しずつ行けるようになりました。
純子さんに教えてもらったように、娘が休みたいと言った日は娘に任せて休ませていたのですが、それが娘のペースを保てたようで、無理なく毎日を過ごすことができ、今ではほとんど休むこともなく学校へ行っています。
純子さんからは、「〇ちゃんは、もうここに来なくても大丈夫になったでしょ?でも、来たくなったらいつでもどうぞ♡」と言ってもらったのですが、娘の希望で月に1回は純子さんに会いに行き、大好きなパステルを描いて、一か月分の話を聴いてもらうことがルーティンに♪
これからもどうぞよろしくお願いします!
Aくん 7歳 小学校1年生
先生、ありがとうございました!
僕は、お母さんともっと一緒に居たくて、学校を休んだってことを先生だけがわかってくれました。
学校に行かないでお母さんと一緒に過ごしてたら、嬉しかったし楽しかったんだけど、今度は学校のみんなにどうやって会っていいのかが、わからなくなってしまいました。
みんなが僕のことを「どう思っているのかな?」と、気になると、学校へ行けなかったです。
でも、先生が一緒にトランプをやってくれて、楽しかったからまた先生にだけ会いに行くことにしました。
先生と会って話しているうちに、みんなと会う勇気が出てきて、頑張って学校に行くことができました。でも、教室に入ることはできませんでした。みんなが「どんな顔をするのかな?」「どんなことを言ってくるのかな?」と思うとこわくて入れなかったです。
でも、また先生と話したら、勇気のパワーが出たから、クラスに入ってみました。
みんな普通だった。
次の日も次の日も普通だったから、僕は大丈夫になりました。
大好きな給食も食べれたから、毎日行くことにしました。
先生、ありがとう!
不登校
Mさん 13歳の娘さんのお母さん
娘(13歳)が、「学校に行きたくない」と言いはじめ、理由を聞いても、「学校に行きたくない」「全部が嫌だ」と、言うばかりで明確な理由がわかりませんでした。
学校の先生に相談しても、ママ友に相談しても、家族で相談し合っても、娘が学校に行く流れや答えは見つからず、毎日学校を休んで家に居る娘をどうしたらいいのか悩んでいました。
そんなときに、相談していたママ友から、純子さんのことを知り、私一人で純子さんに逢いに行きました。
娘のことを相談しに行ったはずが、純子さんの強さと優しさに包まれたら、私のことをずっと話していました。 幼少期の頃の自分や、思春期の頃の自分のことを話していたら、思い出したんです!
私も中学校の頃に、何もかもが嫌になって学校にも行かず、親にも反抗的な態度をとっていたことを。
それでも昔は、学校を休めたのは、2~3日。あとは無理やり学校へ行かされて、私の主張は全く聞き入れてもらえませんでした。その当時の私は、「なんでわかってくれないの!」という想いでいっぱいで、完全に消化不良を抱えたままでした。
そのせいか、母親とはずっと仲が悪く、「なんでわかってくれないの?」という声がいつも自分の中でコダマしていたのを覚えています。
純子さんに自分のことを話していて、気づいたんです。
未消化だったあのときの私がまだ私の中にいて、娘はあのときの私の代わりをやりきってくれているのではないかと。
純子さんから、「どうしたいですか?」と質問され、
「娘の言いたいことや、やりたいことをさせてあげたいです。」と答えると、さらに純子さんから「それではどうしたらいいと思いますか?」と問いかけられ、「娘がどうしたいのかを話しはじめるまで待ちます。」と、答えていました。
あのときの私は、自分の言っていることや、やっていることを認めてほしかっただけなんだと気づき、あのときの自分が叶わなかったことを娘にしてあげようと思いました。
それが正解なのかはわかりませんが、
私はあのときの私のためにも今同じようになっている娘のためにもそれをしてあげたい。
ただそう思いました。
それから、娘が学校を休むことも娘が今やりたいことならという気持ちで、一緒にできるだけ楽しいと感じることや娘がやりたいことをして毎日を過ごしました。
すると、それから3週間が経った日の夜に娘から、「明日から学校に行く」と告げられたのですが、
期待せずに翌日の朝を迎えたら、制服に着替えた娘が「おはよう」と起きてきました。
そして、「いってきまーす」と何もなかったかのように学校へ行きました(笑)。
結局、不登校の詳しい理由はわかりませんでしたが、
数日後に娘が、
「お母さんが私をOKしてくれたでしょ。毎日一緒に過ごせて楽しかった。そしたら学校にも行こうかなって思ったの。楽しいこともあるって思えたし、私も私にOKを出せるかもって思ったの。」
と話してくれました。
純子さんが言ってくれた「子どもや周りの人は自分の鏡」という言葉や、
「学校に行くことよりも大切なことがあるのではないですか?それは、Mさんにも、娘ちゃんにも。まずはそこに気づいてみましょうね。そのお手伝いをします。」
という言葉が印象的でした。
そのおかげで、私が大切にしたいことがわかり、娘が大切にしていることに気づくことができたように思います。
本当にありがとうございました!
Kさん 14歳の娘のお母さん
私は、娘(14歳)がHSCではないか?と思うようになり、純子さんところへ相談に行きました。
娘は、中学2年になってから、時々学校へ行くことを嫌がるようになってきました。理由は、先生や友達、勉強、部活などなど、いろんな理由が上がっていました。
でも、どれをとっても直接的に娘に起こっている出来事ではないことが多く、周りのことばかりでした。
最初は、先生がクラスメイトに怒っている声がこわい、友だちが友だちの悪口を言っている、部活の役の配役が納得できない、数学の数字が気になって問題に集中できないなどでしたが、だんだんといろんなことが気になってきたようで、黒板に字を書く時の音がうるさすぎる、クラスメイトの話し声、友だちが自分をどのように思っているか、先生の目線、テストで点数をつけられること、部活の先輩にどう思われているかなど、いろんなことが気になる様子を話してくれました。
日を増すごとに学校へ行かない日が増えていき、冬休み明けには完全に不登校になってしまいました。
不登校について、いろいろ調べている中で、HSCという症状が娘の言っていることと似ていると思い、最初は病院も考えたのですが、娘に純子さんのことを話したら、病院ではなく純子さんのところに行きたいと言うので、純子さんに逢いに行きました。
すると、純子さんの「よく頑張ったね、えらかったね。」の言葉に娘が泣き出しました。
きっと、たくさんのことを抱えて苦しいのに誰もわかってくれないというつらさが純子さんの言葉で救われたんだと感じました。
そして、「ごめんね、もっと早く連れてきてあげれば良かった。」と泣く私に、純子さんは、「お母さんもよく頑張ったし、タイミングというものがあります。〇ちゃんにとってもお母さんにとっても私にとっても逢うベストなタイミングは今だったんだと思いますよ。お逢いできて嬉しいです。」と笑ってくれました。
泣いていた娘も笑い、たくさん純子さんに話を聴いてもらったあとは、パステルで絵を描かせてもらいました。
絵を描くことが好きな娘は、純子さんの「色は好き?」という言葉に反応して、「はい、好きです。」と。
「じゃあ、今日はパステルで、絵を描いてから帰ろう♪」と純子さんに言われ、ニコニコ。
娘の選ぶ色は、温かくて優し色ばかりでした。
きっと、たくさんの刺激の中に居て、もっと優しく刺激のない状態を求めていたのだろうなと感じました。
それから毎週1回、純子さんのところへパステルを描きに&お話をしに、娘は通いました。
純子さんは、娘の感受性が鋭いところや繊細で敏感なところを素敵な方へと解釈する癖をつけてくれたり、長所として娘に伝えてくれました。
そのおかげで、過敏なことが悪いことや弱いことではなく、素晴らしい能力なのだと思えるように少しずつ変わってきたのです。
そして、大好きなパステルを描くことで、自己肯定感も上がってきて、自分に自信がついてきたようで、3か月目には学校にも少しずつ行けるようになりました。
純子さんに教えてもらったように、娘が休みたいと言った日は娘に任せて休ませていたのですが、それが娘のペースを保てたようで、無理なく毎日を過ごすことができ、今ではほとんど休むこともなく学校へ行っています。
純子さんからは、「〇ちゃんは、もうここに来なくても大丈夫になったでしょ?でも、来たくなったらいつでもどうぞ♡」と言ってもらったのですが、娘の希望で月に1回は純子さんに会いに行き、大好きなパステルを描いて、一か月分の話を聴いてもらうことがルーティンに♪
これからもどうぞよろしくお願いします!
Aくん 7歳 小学校1年生
先生、ありがとうございました!
僕は、お母さんともっと一緒に居たくて、学校を休んだってことを先生だけがわかってくれました。
学校に行かないでお母さんと一緒に過ごしてたら、嬉しかったし楽しかったんだけど、今度は学校のみんなにどうやって会っていいのかが、わからなくなってしまいました。
みんなが僕のことを「どう思っているのかな?」と、気になると、学校へ行けなかったです。
でも、先生が一緒にトランプをやってくれて、楽しかったからまた先生にだけ会いに行くことにしました。
先生と会って話しているうちに、みんなと会う勇気が出てきて、頑張って学校に行くことができました。でも、教室に入ることはできませんでした。みんなが「どんな顔をするのかな?」「どんなことを言ってくるのかな?」と思うとこわくて入れなかったです。
でも、また先生と話したら、勇気のパワーが出たから、クラスに入ってみました。
みんな普通だった。
次の日も次の日も普通だったから、僕は大丈夫になりました。
大好きな給食も食べれたから、毎日行くことにしました。
先生、ありがとう!
パニック障害
掲載準備中
LGBT
掲載準備中
※LGBTとはレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字をとった、セクシュアルマイノリティの総称です。
鬱(うつ)
Rさん 40歳 主婦
私は、長い間鬱を患っていました。
10年くらい前に家から出られなくなり、病院に通うようになりました。
最初は、落ち込んだ気持ちが上がらない、楽しいことが考えられないくらいだったのですが、だんだんと人に会うことが苦しくなり、外に出て日光を浴びたり、知らない人とすれ違うことすらも苦痛になり、外に出ることも仕事に行くこともできなくなり、仕事も辞めて病院通いをしていました。
薬の量がだんだんと増えていくことに怖さを感じて、漢方を処方してくれる病院にかえてみたりしたのですが、なかなか鬱の症状は治らず、どうしたらいいのかと悩んでいた時に、純子さんのカウンセリングを受けました。
当時の私は、外に出ることが難しかったので、オンラインでカウンセリングをしてもらっていたのですが、それも気持ちがとても楽でありがたかったです。
純子さんが、「私も鬱を経験したことがある」と話してくれて、私の気持ちや感覚をとてもよく理解してくれました。
純子さんにいろいろ話しているうちに、「鬱は特別なことでも、ダメなことでもないんだ」と思えてきて、心が軽くなって行きました。
焦らずに、純子さんに教えてもらったワークを日常でやることにしました。
純子さんは、「やいたくないときはやらなくていいよ。」と言ってくれたので、負担にならずにワークにも取り組めたし、次に会ったときにワークをやっていなくても「そういうときもあるよね。」と、明るく言ってくださることで、とにかく安心してカウンセリングを受けることができました。
「鬱を治したい」というより、「純子さんと話をしたい」という気持ちでカウンセリングを受けていたら、気づいたときには、鬱が治っていました(笑)。
ちょっとずつの自分の変化に気づいておらず、いつの間にか、毎月純子さんのところへ会いに通うようになっていて、電車にも乗れて、コンビニで買い物もできるようになっていて、純子さんが主催されているお話会や企画にも参加している自分に気がつきました。
自分のことをわかってくれる人がいる安心感と、自分と同じ経験をした人が素敵な生き方をしているという希望と、信頼できる人に自分のことをたくさん話すことができるという解放感、同じような感覚の人たちと出逢って自分の感じていることをシェアできる喜びの中に、自分を置いたことによって、自分が自分らしく生きれている感覚に満たされはじめたおかげだと思っています。
まだゆっくりですが、純子さんに教えてもらった自分らしく生きる生き方を楽しんで行きたいと思います。
これからもよろしくお願いします!
あなたの中にある ”こたえ” を
一緒に見つけませんか?